国際ロータリー第2580地区 東京武蔵野中央ロータリークラブ 今週の卓話

「魅力あるロータリー活動の創造と会員増強の基盤縲怎Nラブ奉仕活動を再評価する」(2017/2/23)

「魅力あるロータリー活動の創造と会員増強の基盤縲怎Nラブ奉仕活動を再評価する」(2017/2/23)
戸田 一誠パストガバナー(紹介 飯村雅洋会員)



 クラブ奉仕部門は、組織の維持管理を担う部門として欠くことの出来ない重要な部門です。私たちは、お互いに知恵を絞り、時間を供出しながらクラブ奉仕活動に参画しています。極端な言い方ですが、クラブ奉仕活動は、ロータリーが束になって取り組んでいる唯一の団体奉仕活動だ、ということも出来ます。クラブ奉仕の各委員会を毎年交代で担当することにより、私たちは、ゆっくりと、しかし確実にロータリーを理解して行くことが出来るよう仕組まれています。
 その意味では、最近「クラブ奉仕」を「雑用」として分類し、外注してしまえ、という声が聞こえますが、とんでもない勘違いです。
クラブ奉仕委員会
  包括委員会としてのクラブ奉仕委員会の役割の一つは、各委員会の利害の調整、もう一つは次期会長のための訓練育成です。委員長はクラブ奉仕の諸活動全てに対し責任を持ち、且つ、クラブ奉仕の特定分野に設置されたあらゆる委員会の仕事を監督・調整することを任務とします。
 どのような場合に調整が必要か?例えば、会員増強委員会と会員選考委員会を例にとると、かたやひたすら増強を目的とし、一方は様々な基準に照らし入会候補者を選考しなければなりません。この両委員会が職務に忠実であればあるほど、双方の利害は対立することになります。しかし、両委員会の立場は平等ですから、利害が対立すると収拾する機関がありません。そこで、クラブ奉仕委員会を構成、包括される各小委員長を委員とし、次年度会長予定者にクラブ運営に精通させる為にも、各委員会の調整役をさせたらどうか、ということでこの委員会が設置されることになりました。
 従来は、クラブ奉仕関連の小委員会だけが存在し、これらを束ねる意味での包括委員会は特に設けられていませんでしたが、1982-83年度モナコで開催された理事会に於いて、盲腸化していた副会長を活用するためと、クラブ運営の円滑化のために、この制度が決定・奨励されるようになりました。
 これらの結果、クラブ奉仕委員会を開催すると、そのままクラブ奉仕関係の委員長会議=クラブ奉仕関係のクラブ協議会となるわけで、クラブ運営の合理化にも資することになります。
まとめ
私がロータリーに入会したての頃、『ロータリーとは「境地を求めて例会に至り、境地に至りて例会を去る」、だな』と教えてくれた先輩がありました。漸く今頃になって「そうか!」と思えるようになりましたが、最初の頃は「ナニを言ってるの?」でしかありませんでした。
 最近気になる言葉があります。「人が後世に残しうる最も価値あるものは、勇気ある高尚なる人生である」=内村鑑三。P.ハリスはロータリー第二標語について「PROFIT」とは、ドルでもセントでもない、それは人生の「SOMETHING」なんだ、と言っています。また、ロータリーに相応しい人とは、幾つになっても少年の心を失わない人のことだ、という表現もあります。彼は、ロータリーの根幹をなすものは「寛容である」と言い切っています。しかし、「寛容」という言葉は注意深く用いねばなりません。ロータリーで言う「寛容」とは、己の無知、怠惰の言い訳のように使ってはならぬ、ということであります。私たちは、しばしば、相手に「寛容」を言いながら、その相手に対する自分自身の「非寛容」に気がついていない場合がありはしますまいか。異なる考え方に対するとき、明確にそれが発信されているような気がします。
 昔から、ロータリーに世俗の論理・価値観を持ち込むことは危険な振る舞いだ、と言われてきました。世俗的価値観とは、年齢、学歴、所得、事業規模、社会的地位などに象徴されますが、それらを基準に組織運営をすると、ロータリーの目指す理想主義と軋轢を起こす場合が多いのは周知の事実です。クラブの運営に当たっては、ロータリーに相応しい組織や人事とは何か、を真剣に考えて行かないと、何処にでもある町内会、商店会、法人会、などと何ら変わることのない地域団体の一つになってしまいかねません。
 私たちの心の中には、見栄や、嫉妬心や、様々な欲望が渦巻いています。そして、しばしば欲望に流されもします。そういう情けない自分と向き合いながら、少しでも自己抑制を心がけ、より高い精神的境地を求め続ける人々の集まりだ、という信頼感があるからこそ、私たちはロータリーに浸っていられるのです。
 他人の持っている能力、冨、地位に多少の差はあれ嫉妬する心は、もしかすると防ぎようのないものかもしれません。しかし、妬みや嫉みが増長し、故なく相手を憎んだりするようになってしまうと、それは卑しさ以外の何ものでもなくなってしまいます。ロータリーに在籍していることで、我が身の醜さが少しでも矯正されるなら、ロータリーを学んだ価値があろうかというものです。
 最後に、最近すっかり忘れ去られてしまった事柄に触れておきます。それは、ロータリーを営利目的で利用することを禁じた国際ロータリー理事会決議です。即ち、「ロータリアンはその仲間の会員から、彼が取引関係を有している他の実業家に対する場合より多くの利便を期待してはならないし、ましてこれを要求することがあってはならない。むしろ遙かに少ないものを期待すべきである。ロータリアンが、取引関係にある他の事業家に普通与えないような特典を、仲間のロータリアンに、・・中略・・、与えるのは、競争業者に対するロータリアンの責任に反することであり、また、ロータリーの職業奉仕の原則に反することである。真の友人というものは互いに何物をも要求するものではないし、利益のために友人間の信頼を乱用することはロータリーの精神から遠くかけ離れたものである」
 こんな言葉があります。曰く、「例会場ロータリアン」=神守源一郎。「ロータリークラブの会員になるのは、会員選考にパスして入会金や年会費を払えば誰でもなることが出来るが、ロータリアンになれるかどうかは別の問題だ」。
さあ、「入りて学び、出でて奉仕」しようではありませんか。
以上

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