国際ロータリー第2580地区 東京武蔵野中央ロータリークラブ 今週の卓話

「青少年交換帰国報告」(2019/8/29)

「青少年交換帰国報告」(2019/8/29)
第54期青少年交換学生 久保田京花さん

 

みなさん、こんにちは。青少年交換第54期ブラジル派遣の、日本大学第二高校2年の久保田京花です。

私は去年、20188月から、今年の7月までブラジルの第4420地区に約11ヶ月間滞在しました。本日は、私の帰国報告の場を設けていだだきありがとうございます。早速ですが、私のブラジルでの一年間を紹介させていただきます。

第4420地区は南米最大の都市、サンパウロシティーに存在します。ブラジルはもともとポルトガルの植民地でしたので、ヨーロッパ風な建物がたくさんあります。また、南米最大の都市でもありますので、オフィス街もたくさんあります。セントロと呼ばれる、サンパウロ内のさらに中心部には、ヨーロッパ風な建物と、立ち並んだ高層ビルが混ざって、とても不思議な光景でした。そして、そのセントロには道路にお店を開いたり、シュラスコやポップコーンを売っている人がいたりして、とても自由で素敵な街がサンパウロです。日本人街もあって、日本のお菓子や食材も買うことができました。私はあまりホームシックにならなかったので、あまり訪れませんでした。むしろ存分にブラジルしたいと思っていたので、もっと現地の人が集まるようなところによく行っていました。

私はこの留学中、二つのホストファミリーにお世話になりました。第一ホストファミリーは私のホストクラブの会長さんの家族で、第2580地区に来ていたフェルナンダさんのファミリーでした。フェルナンダのお父さんが日系ブラジル人の方で、驚くことに苗字が同じクボタだったのです!第一ホストファミリーには毎月旅行に連れて行ってもらいました。別荘に連れて行ってもらったり、ロータリアンさんの社員旅行にも連れて行ってもらいました。この家族には英語を話す人がいなくて、最初の1ヶ月はGoogle翻訳生活でした。

九月の後半に、留学生を呼んでシュラスコパーティーを開いたのですが、その時にドイツからの男の子とフランスの女の子が、当時の私からすれば、もうネイティブ並みにポルトガル語を話していたのです。そこでおばあちゃんとホストマザーが「ちゃんと話せててすごいね、京花は何にも話せないし、わからないよ」そう言ってました。確かに私は当時、全然、ポルトガル語できませんでした。でも「わかってないね」 この言葉はわかるんです。あの時、とても悔しかったのを本当に覚えています。それから私は、ポルトガル語を上達させるために工夫しました。携帯の設定をポルトガル語に変えたり、インスタグラムで自分から発信するときは、全部ポルトガル語で書いてみました。おかげでポルトガル語も上達し、結果的にホストファミリーとも仲良くなれました。

二月にホストチェンジをしました。第二ホストファミリーは日系の家族でした。大家族なので家での食事も毎回ビッフェでした。おばあちゃんが何種類もの料理を作って、それぞれ好きなものだけ取っていく、という感じです。ホストシスターとホストブラザーが1人ずついて、同じマンションにいとこが5人いて、家族で週末集まった時にはいとこたちとトランプをして遊びました。私は日本の家族に歳の近い人がいないので、ブラジルで週末に集まって一緒に遊べる同世代の家族ができてとても新鮮で楽しかったです。四月に私の誕生日があって、パーティーを開いてくれました。ホストペアレンツは忙しいにも関わらず、家族や他の留学生を招待して盛大に祝ってくださって、忘れられない誕生日になりました。本当の家族のように接してくれたホストファミリーには感謝がいっぱいです。たくさんしてもらってるばかりで、私はもうちょっと家族に喜んでもらえることをできたらよかったなと今は少し後悔しています。でも次ブラジルに「帰る」時には彼らにまたあってまた家族のような時間を過ごしたいです。

次は私のブラジルの学校での生活についてお話しします。私の通っている学校はカトリックの学校なので毎朝お祈りの時間があります。日本で私の周りにキリスト教を信仰している方がいないので、お祈りや十字を切る姿を生で見たのは初めてでした。私の大好きな体育が週一回しかないのはすごく残念でした。体育の授業は、日本では授業としてルールを教えたり、球技だったらパスの仕方を習いますが、ブラジルの体育の授業は授業といった感じではなく生徒たちが勝手にチームに分かれてゲームをするといった感じでした。私はブラジルの学校の生徒と先生の関係はとても興味深いと思います。先生たちはとてもフレンドリーで生徒たちとお友達なように見えます。日本では先生は「先生」という感じで、フレンドリーな先生ももちろんいますが、授業以外では話したことがない先生もいます。ブラジルの学校では授業、授業、授業といった感じで、なかなか先生と関わる機会がなさそうに見えたのですが、インスタグラムやフェイスブックを交換している人たちもいて、すごいなと思いました。授業スタイルもかなり違うと思います。例えばパワーポイントをよく使っています。アクティブラーニングが多く、そのことについて生徒たちもまた発表をする機会が多いです。あと、小テストが全然ないのはすごくすばらしいです。それから、日本では誰か一人の質問のために授業を中断することはありません。というか、そもそも生徒たちが授業中に質問しないです。だから生徒さんたちの、わからないことはその場で聞いて解決しようとすることはすごくいい姿勢だなと思いました。

10月から1月にかけて大統領選挙がありました。ブラジル人の学生は自国の政治にとても関心を持っているように見受けられました。選挙の時期には、自分たちには選挙権がないにも関わらず、あの人はダメだとか、あの人がいいとか自分の意見をしっかり持っていて、自分の国を本当に愛しているのだと思いました。

友達はいつも私を助けてくれました。最初の方は板書で癖の強い先生の字も、スペルも全部教えてくれました。そんな優しいお友達とも、新学期にクラスが離れてしまいました。ブラジルでは、2月が新学期なのですが、私は高校一年生をもう一度やることになって23歳下のこと同じ教室になりました。考えが子供だし、体育も思いっきりできないし、前のクラスに戻りたいなーと、そんなことばかり思っていました。ブラジルの子って見た目は大人っぽいのに、考えてることは実年齢より結構低い子が多いです。もしかしたら、日本の学生が精神年齢高いのかもしれないです。例えば前のクラスでも、15歳16歳だけど、12歳のこと話してるのかな?と感じたこともありました。だからクラス替えしたばかりの時は、クラス替えつまらなくてずっと寝ていました(笑)でもやっぱり寝てばっかじゃつまらなくて、私も子供になってみることにしたのです。そうしたらとても楽しくて、朝早く起きるのも嫌じゃなくなり、授業中に話しすぎて先生に怒られてしまうこともありました。でも逆に、「キョウカ 明るくなったね。」とも言ってもらえるようになって。正直、ブラジルの学校行き始めた時には、学校の子と馴染むのは難しいかなと思ってました。だって、言葉が通じない転校生みたいなものですから。教室移動の時も、ただ後ろについて行くだけ、みたいな感じでした。でも同じクラスになったことのない子や、他の学年にも友達ができました。だから想像以上に馴染めて、われながらよくやったと思います(笑)特に最初のクラスでお世話になった子たちとはクラスが離れても、毎日一緒にランチしていて、今でも連絡を取っています。

ブラジルで有名なスポーツといえばやっぱりサッカーです。ブラジルでは日本でいうJ リーグのような、国内の大会が多くあります。そして世界的にも有名なチームがいくつもあります。そしてブラジル人はほぼ100%の確率でどこかのチームを応援しています。子供からお年寄り、男性も女性もみんなサッカーを見ています。ブラジルで初めて話す人がいようもんなら、高確率で「あなたはどこのチームのひと?」と聞かれます。サッカーなんてワードは出てこなくても、この一文で全て理解されます。それだけサッカーはブラジル人に愛されている、国民的スポーツです。私は小さい頃からスポーツが大好きだったので、派遣先では絶対にその国で有名なスポーツをやろうと思っていたので、ブラジルに行くと決まった時から、私はサッカーをやろうと決めていました。私が通ったフットサルクラブは男の子のチームで、体格や技術の関係もあって、小学校高学年くらいの子たちと一緒にプレーしました。私は日本でサッカーを授業以外でやったことがなかったので、最初はパスもまともにできませんでした。最初の方は説明してるのも意味わからなくても、私がわかるまで説明してくれたり、私がゴール決めたらクラス全員で喜んでくれて、本当にいいチームに通わせてもらったと感じています。

留学生活の中で、一度大きな壁にぶつかったことがあります。新学期の時期でした。学校で環境が変わってから ストレスが溜まって、何もできなくなりました。ポルトガル語が急に話せなくなって、サッカーも調子がのらず、しまいには体調を崩してしまいました。そして、ある日のサッカーのレッスンが終わった後、コーチが声をかけてきてくれて、私が元気がないことに唯一気づいてくれました。「どうしたの」と聞かれた瞬間、涙が滝のように流れてきました(笑)コーチは私の下手くそなポルトガル語でもちゃんと聞いてくれて、たくさん励ましてくれました。「あなたの目の前にある壁にはきっとドアがついています。あなたはそのドアを探して開けなければいけない。開かないドアは力強く押さなければならない。」と。私はコーチの言葉に本当に救われました。大げさかもしれませんが、本当に励みになりました。そのおかげで調子を取り戻せて、コーチにはサッカーのことも精神的なことについても本当に感謝しています。

わたしは日本で陸上をやっているのですが、向こうでも一度大会に招待されて走ってきました。練習期間は3回ほど。9ヶ月のなまった体をたった3回で戻すことはできず、ひどいタイムでしたが ブラジル人と走れてとても新鮮でした。外国人ばかりのトラックで走れるなんて国際大会でもないので凄いことです。タイムとかも気にしましたが、それ以上に感動が大きかったです。

ロータリーのツアー中には留学生同士でチームを作って、対現地の人でサッカーの試合を行いました。国境を超えたチームです。私はこの留学で行ってきた、観戦してきたスポーツを通じで改めてスポーツの素晴らしさを実感しました。スポーツは出身とか、周りの環境とか、そんなものは全く関係なく、老若男女みんなが熱くなれて、涙があって、人々に感動を与えます。スポーツってそんな素晴らしいものなのです。私はこの一年間の留学とスポーツで、将来は国際的でスポーツに関わる仕事に就きたいという思いが強くなりました。

他の留学生との関わりは私の留学生活においてとても大事なことでした。私は英語が上手くないし、みんなと仲良くなれるか本当に心配でした。でもそんな不安だらけだった自分に、彼らは私の親友で、家族も同然だよ、と胸を張って言えるほど、私は留学生っ子でした(笑)ブラジルに行ったんだから、ブラジル人と一番関わるべきなんじゃないか?そんな考えの方もいらっしゃると思います。でも彼らとは同じ悩みを共有して、辛いことがあった時も一緒に乗り越えてきた、「仲間」なんです。私が今パッと振り返る思い出の中には必ず彼らがいます。彼らにはいろいろなことを教えてもらいました。私がこの一年間で学んだことは必ずしもブラジルのことだけではないということです。2020年の東京オリンピックの時には彼らの中で東京にきてくる子がいると思います。そうやって、彼らとはこれからもずっと繋がって行きたいです。過ごした時間はたった一年でしたが、彼らは一生の友達です。 そんな一生の友達に出会えることができて本当に嬉しいです。

この一年間は一瞬で過ぎてしまいました。私、本当に一年間もブラジルにいたのかな?1ヶ月くらいだったんじゃなかいかなって思うほどです。だって、私がサンパウロの空港でホストファミリーにあった瞬間も、今でも、昨日のように覚えているんです。それでも決して少なくないブラジルで学んだことについて、日本の皆さんに伝えるができることをとても楽しみにしていました。

今回は自分の向こうでの生活や経験がメインになってしまいましたが、ブラジルの文化や自然、人々などたくさんの人に知ってもらいたいと思いました。第2580地区では自分の行きたい国は選べませんが、もし選べたとしたら、私はブラジルを選んでいなかったと思います。でも本当にラッキーでした。ブラジルの第4420地区が私の派遣先だったからです。出国前に私がよく言っていた「大きく成長する」ことは、自分では実現できたのかはわかりません。ですがこの色あざやかな一年をこれからの人生に生かして、将来は国際的に活動して行きたいです。これで帰国報告を終わらせていただきます。

 

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