国際ロータリー第2580地区 東京武蔵野中央ロータリークラブ 今週の卓話

「障害のある人があたりまえにくらし、はたらくために」(2018/3/15)

「障害のある人があたりまえにくらし、はたらくために」~社会福祉法人武蔵野千川福祉会の取り組み~(2018/3/15)
社会福祉法人 武蔵野千川福祉会  唐澤啓一さん(紹介 小林 清会員)

 


はじめに
 障害とは、疾病と異なり長期に渡り、社会的制限がかかることをいいます。世界的な共通認識としましては、WHO(世界保健機関)では、国際障害分類(ICIDH1980年)で「機能・形態障害」が「能力障害」を起こし、結果的に「社会的不利」となるという障害があることで社会的不利につながるという考え方でした。傷病が障害に起因しているというところから医学モデルと呼ばれています。一方「社会モデル」ではその事象を、障害を持つ人の社会への統合という視点から、主として「社会的な」問題として見ています。それらを統合した形で、2001年に国際生活機能分類(ICF)という考え方がだされました。このICFでは生活機能を障害だけでなく、環境や広い視点で捉えるところに違いがあり、生活機能の制限を複数の要素が影響しあっている状況をしめすことができます。
 日本の法制度から三障害に分けられています。身体障害、知的障害、精神障害です。近年増加している発達障害、高次脳機能障害(事故、脳出血等による)は主に精神障害に含まれます。それぞれ状況に応じて障害者手帳が交付されています。障害のある方の人数は平成28年度調査で860万人となっていますので、日本国民の20人に1人は何らかの障害のある方ということになります。

 

障害のある人についての歴史

  障害のある人の歴史について、まず教育については、明治の頃に盲唖院という学校ができたのが始まりと言われています。その後、盲学校、聾学校ができ、戦後になり「教育基本法」、「学校教育法」で障害のある児童も就学できるようになります。しかしながら、重度の障害のある児童は「就学猶予」、「就学免除」措置で学校にかようことができませんでした。1979年(東京都としてはその2年前倒し)「養護学校義務化」となり、ようやく全ての障害のある児童も学校へ通えるようになりました。近年では、「学校教育法」改正で盲・聾・養護学校は特別支援学校へ移行しており、一本化が図られています。

福祉においての歴史については、戦前は「恤救規則」(1874年、国による生活困窮者の救済)という制度がよく取り上げられますが、障害のある人は現在のような支援の対象ではなく、救貧の対象でした。その後、糸賀一雄らの「近江学園」など篤志家による障害児療育、支援のための施設が開設されました。その間、国も「生活保護法」、「身体障害者福祉法」などの法整備をし、1951年「社会福祉事業法」で国が行うべき福祉事業を民間の事業者(社会福祉法人)も行うことができるようになりました。しかしながら、当時は施設利用については、人としての尊厳を考慮されていないような「行政措置」という形態で、自由に施設を選ぶことはできませんでした。その後、知的障害、精神障害のある人の支援にも広がり、1981年国連の国際障害者年を経て、ようやく障害者施策が三障害に広がっていくことになりました。ここでの問題としては、特に知的障害のある人の施策については施設入所が主で、多くの方が地域を離れることになっていました。そこに北欧の考え方である「ノーマライゼーション」(障害者も健常者と同じ生活をするべきという考え方)が浸透し、地域で生活し続けられるようにという施策に変わってきました。それでもまだ、障害のある人にかかわる問題についてはいまだに根強く人々の中に差別や、排除するような意識があることは最近の事件等からも周知のとおりです。そういった国内の問題を抑えつつ、新しい動きとしては、国連の「障害者権利条約」の存在です。日本も事前に国内法整備を行い2014年に批准しました。この権利条約では、「合理的配慮」という新しいキーワードが出されました。これは、障害のある人が、障害のない人と平等にすべての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整するということで、障壁をなくす配慮が、できる限り行われるべきということです。これが実現されるようになれば、すべての人が生活しやすい社会になるのではないかと思われます。

 

社会福祉法人武蔵野千川福祉会の取り組み 

 社会福祉法人武蔵野千川福祉会は、1976年に武蔵野市八幡町に主に知的障害のある方の働く場として「千川作業所」を開所したことに始まります。当時は、東京都で養護学校義務化された時期で、養護学校の卒業後の進路として、特に就職できない方の進路として、当時は在宅生活となってしまっていました。そういった方たちに働く場をということで当初は家族が集まり作業所を立ち上げました。その後志の高い職員に意思が引き継がれ、無認可作業所として予算が少ない中での運営だったようですが、ボランティアの力も借りながら、何とか運営を続け、利用者増に合わせ、事業を展開してきました。1983年に西久保に第二せんかわ作業所(現:チャレンジャー)を開所し、1990年には、中町にむさしのワークスを開所したところで、働く力に合わせて事業所ごとに機能分化を図りました。それは利用者にとって、より働いて給料を稼ぎたい方や、働くことを生きがいとしたい方など選択肢を広げる結果となり、先駆的な取り組みとして評価を受けました。また一方では、働く場の拡大のために行政に働きかけたり、地域でバザーを開催したり、廃品回収をするなどして資金作りをしました。それでもなかなか社会福祉法人化はかなわず、2003年に社会福祉法人認可をいただき、障害者総合支援法に基づく障害福祉サービスに転換してきました。現在では10の事業を17事業所で行えるようになりました。基本理念にある障害のある人を中心とした支援の展開を今後も続けながら、必要な時に、必要とされる支援ができるようにしてまいりたいと考えております。今後ともご指導、ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

 




 

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