国際ロータリー第2580地区 東京武蔵野中央ロータリークラブ 今週の卓話

「米山月間に因んで」(2016/10/13)

「米山月間に因んで」
米山奨学生 馬賽さん(紹介 北 滋会員)



去年4月から米山奨学生として東京ロータリークラブにお世話になっております、中国大連の出身の馬賽と申します。本日、このようなご挨拶の機会をいただき、とても光栄に思っております。以下は私が日本へ留学するきっかけ、研究内容及び1年半を振り返って(ふりかえって)ロータリ活動からの感想を発表させていただきます。どうぞ、宜しくお願い致します。

私の両親は大学の教員で、私は両親から様々な影響を受けました。小学校の時から、ずっと機械工学に興味を持っており、大学では機械工学を専門として学びました。そして、日本語を専門の一部として勉強し始めました。三年生の時、愛媛県の日本住友化学工場で実習をして、プラスチックに関する実験を行う中で、日本の先進技術に非常に感銘(かんめい)を受けました。同じ作業であっても、普通に人間が行うと、非常に難しく不安定であるものを、機械を使用することによって均一な製品を作成できることを目(ま)の当たりにしました。このような実験を通じて(つうじて)、機械の魅力にさらに惹かれ(ひかれ)ていきました。そして、先進的な技術だけでなく、日本料理、日本文化などに非常に興味を抱き(だき)ました。この経験から将来日本に留学して先進技術を学びたいと思い、努力し続けてきました。日本は先進的な加工技術を持ち、「モノづくり工学」を学ぶ(まなぶ)のに適した(てきした)国であると考えました。その中でも特に有名な東京大学に入学し、多彩(たさい)な学問(がくもん)分野(ぶんや)に触れる(ふれる)ことで豊か(ゆたか)な創造性(そうぞうせい)を養う(やしなう)ことができると考えました。また、東京大学は世界各国の優秀な学生が集まっているため、異文化交流や世界中に友達を作ることができる場(ば)でもあります。

留学のために来日(らいにち)してから 4年が経ち(たち)、私は、現在、東京大学工学部精密工学の横井研究室の博士2年生に在籍(ざいせき)しており,主にガラス繊維や炭素繊維強化樹脂の成型技術を研究しています。「モノづくり工学」への道は、物理現象としての加工現象をいかにして、ありのままにかつ正確(せいかく)に把握(はあく)できるかを出発点としています。しかしながら、この“加工現象を知ること”すら困難なモノづくり分野が、今なお多く残されています。プラスチック成形加工がその代表的な分野です。特に私の研究では、金属代替材料として様々な業界で注目される長繊維強化樹脂を扱って(あつかって)おり、この加工技術は、プラスチック材料の広い範囲への応用、大量生産に役立つと考えています。日本でプラスチックが本格的(ほんかくてき)に工業化され、プラスチック産業が発達(はったつ)してきたのは1950年代のことです。金属加工には数千年の歴史がありますが、プラスチックは1950年代から今日まで60年ほどしか経って(たって)いません。しかし、プラスチックは私たちの日常生活とは切り離す(きりはなす)ことが出来ない(できない)ものになっています。プラスチックの成形方法には押出成形、射出成形等様々なものがあります。押出成形とはクリームをチューブから出すとその口の形(かたち)に合った形状ができるものです。例えば星型(ほしがた)なら星型(ぼしがた)のものができ続けます。そのような方法はパイプやシートを作る方法です。射出成形は粒状(りゅうじょう)のチョコレートを溶かし、作りたい形がある容器に入れ、冷やして、容器と同じ形状のチョコレートを作る方法に類似(るいじ)しています。すなわち、射出成形とは、金型の金属キャビティ内に加熱溶融させた材料を射出・充填し、冷却・固化させる事によって、成形品を得る(える)方法です。プラスチック成形技術では成形機の自動化技術が発達(はったつ)しており、安定した品質で複雑な形状加工が可能であり、二次(にじ)加工(かこう)が不要となることで工数(こうすう)の低減が可能となります。このような中で、私は射出成形を研究テーマに選びました。射出成形においてガラス繊維等のフィラーを樹脂中に添加することは、機械的強度の向上等の高機能化付加が可能になるため、自動車部品や機械部品等に幅広く使用されています。樹脂等の成形品の機械的強度は内部の残存繊維の長さに大きな影響を受けます。成形品に至るまでに必要な繊維長を維持するのが難しいのです。現在、私は繊維が折損しない方法等を重要な課題として研究しています。

次に、学生生活で感じたことについてお話しさせていただきます。私の中国の家は大学のすぐそばです。近所(きんじょ)には、研究者、技術者たちがたくさん住んでいます。学校構内では学部生、院生をよく見かけますが、博士である研究者たちと学部生とは何が違うのだろうかということについてしばしば考えることがあります。私は、一つの比喩(ひゆ)にたとえれば、学部生は一つの円の知識を勉強するとするならば、博士はこの円を拡大して、円の面積を少しだけ広げるという活動をしているのだと思います。学生はもうすでに分かっている知識を勉強するわけですが、博士はまだわからない知識を探しているのです。私は研究者はすばらしい職業(しょくぎょう)だと思っています。しかし、反面、学術の研究を進めるに従って、研究者、博士たちは、研究に没頭(ぼっとう)するあまり、その視野(しや)が狭く(せまく)なって行く面があります。先端的な技術だけを研究して、普通の常識や基礎知識に疎(うと)くなってしまう可能性もあります。それでいいのでしょうか?私は『博』に『物事をひろく多く知る』という意味があることから,専門知識だけでなく、歴史、政治、音楽など、ほかのさまざまな分野も学ぶ研究者でなければ『博士』とは言えないと思うのです。この知識は本から学ぶことはもちろん、社会、人間関係なども理解しなければなりません。特に留学生としての私は研究分野の知識を把握することは当たり前ですが、日本・中国を含めて、いろいろな本から、勉強したことのない知識を学ばなければなりません。先日、ISI国際学校の校長先生からこのような話しを聞きました。ある医学部の留学生はドイツへ留学していながら、ドイツ語も勉強しないし、現地の友達も作ることなく、毎日実験室に残っていて、結局最後は実験用のネズミからの「じゅーじゅー」という言葉しか学ばな(まなばな)かったそうです。これでは留学の意味がないと思うのです。世界中に書物(しょもつ)は、あふれかえっており、全部を読むことなどできません。各人(かくじん)の読書(どくしょ)経験(けいけん)は違います。頭の中に残るのは必ず彼にとって意味のある知識です。これにより、どのように自分の知識として身につけるかがポイントです。一番簡単な方法はいろいろな人と交流を持つことです。人は人生の中で、いろいろな人と出会う可能性があります。出会った人と互いに考えをシェアすることは双方(そうほう)にとっても成長になります。いろいろな友達を作ることは、各分野の知識を多少(たしょう)なりにも知ることができ、それらの蓄積(ちくせき)は無視することができません。自分の知識を豊富にさせるだけでなく、社会でいろいろな方と交流することが自分の資本(しほん)となり得ると考えています。

もう一点ですが、現在、研究者の卵として、知識不足は否(いな)めないため、ほかの人に尋ねて(たずねて)わかるまで勉強をするようにしています。ほかの人に教えを乞(こ)う必要がある場面はよくあります。しかし、人は年を取るにつれて、だんだんメンツなどを重視するようになり、ほかの人に、自分が分からないことを聞くことが恥ずかしいと思う人がたくさんいます。『どんなに年をとっていても学べないことはない』という言葉をよく聞きますが、年を取ると若い人に質問することは顔がつぶれるような感じを持つのだろうと思います。それは決して技術者の精神ではありません。だれであっても世の中全ての知識を持つことはできません。研究するときに、必ず障碍(しょうがい)に出会う場面があります。この時、自分のメンツを守るために、頑(かたく)なになっていては、新技術は発展するでしょうか?ほかの人によく相談すれば、インスピレーションは突然呼び起され(よびおこされ)、科学の袋小路(ふくろこうじ)から出てくることもできます。特に、若者(わかもの)の奇想天外(きそうてんがい)な発想(はっそう)が新しい発見につながるかもしれません。日本にも、「聞くは一時(いちじ)の恥(はじ)(はじ)、聞かぬは一生の恥(はじ)」ということわざがあると聞きます。日々(ひび)の生活の中でも、どこでも学習すべきことがたくさんあります。いつも、謙虚(けんきょ)な精神を持ち知識を積み重ね(つみかさね)ていくことが問題の解決に役立つようになると思います。日常生活においても、さまざまな分野で勉強熱心であることこそ技術者にとって、一番重要な心の持ち方だと思います。

成功した技術者が集まって、みんなに『自分にとって感慨(かんがい)に値する(あたいする)ことはなんですか』という質問をすると、おそらく、ほとんどの人は『もし、中途半端(ちゅうとはんぱ)なことをしていたら、成功できないね』と答えます。成功を追い求め(おいもとめ)る人はたくさんいますが、実現する人は思ったより少ないのです。どうしてでしょうか?IQのせいですか?または条件のせいですか?全然違うと思います。最後まで努力を堅持(けんじ)する人は成功します。特に、技術者たちは、一見(いっけん)すると不可能と思われるようなテーマを掲(かか)げることがしばしばあります。困難ばかりで、以前であれば、考えることすらはばかられたような事に挑戦し、技術の方面に努力するだけでなく、あきらめない精神も大切です。山道(やまみち)はどのような急峻(きゅうしゅん)でも、征服(せいふく)の自信が必要なのです。少しの困難にあうと、すぐ放棄(ほうき)していては、技術者になる可能性はゼロかもしれません。技術者の魅力(みりょく)は、困難を無視して、必ず成功するまで戦う(たたかう)意欲です。私は、このような意欲を持ち続けるならば、どんなに堅固(けんご)な壁(かべ)であっても乗り越えることができると信じております。

ロータリークラブは、このような様々な分野の専門家が集まってお互いに交流できる組織だと思います。これまでわずか数ヶ月間(すうかげつかん)の活動にもかかわらず、入る前には想像できないレベルの優秀(ゆうしゅう)な方々に出会い、自分の知識と能力をより一層広げることができました。特に私の精神面においても多くのサポートを受けました。各クラブではたくさんのお金を出し、何も知識のない奨学生を支援してくれています。これは、社会に対し責任感をもって後進の指導に当たっておられるということなのだろうと感じております。一人の研究者として、自分の属する企業のためだけに、ものを作るのではなく、全人類のためによりよい生活を作りたいという気持ちを持たなければなりません。ただ目の前の利益を重視し、環境(かんきょう)や資源(しげん)を無視(むし)しているようでは、子孫(しそん)にどう伝えていけるでしょうか?将来、きれいな海と新鮮な空気が、ただ書物(しょもつ)からしか窺(うかが)い知ることができない時代(じだい)になることはとても悲しい(かなしい)ことだと思います。美しい森(もり)がただ一つの絵としてしか見ることができない世界は利己的(りこてき)な考えから生じる(しょうじる)のだと思います。この世界は私に属する(ぞくする)だけでなく、後代(こうだい)の人にも属します。私たち人類に属するだけでなく、各種の生物にも属します。研究者として、技術の方面だけでなく、いろいろなことを考えなければなりません。特に、社会的な責任感を持って、日々、研究に取り組むことが重要だと思います。無責任(むせきにん)である人は最後に必ず社会から淘汰(とうた)されて行くことになるのだと思います。

普段の研究室での活動は、主に機械を相手にしたものですが、ロータリークラブの活動をきっかけとして、さまざまな国の留学生と交流することができました。この1年半の奨学生生活で、研究だけでなく、留学生との交流を通じて、精神的にも成長することができたように感じております。
奨学生たちは、皆、個性的(こせいてき)で、生まれ育った(うまれそだった)習慣・文化も異なり、異文化交流にありがちな課題に出くわすことがあります。他国の奨学生に接する際は、相手の文化を前もって知り、相手にとってセンシティブな問題を意識(いしき)して臨む(のぞむ)ようになりました。また、おたがいの意見が違うときは、相手側のものの見方(みかた)にも関心を持つようになりました。そのうち、自分の感覚(かんかく)が必ずしも正しいとは限らず(かぎらず)、他国の考え方に学ぶべき点が多いことに気づくようになりました。このように多面的に、ものが見られるようになったことも、奨学生交流で得られた(えられた)成果の一つと思っております。

将来、博士学位の取得後(しゅとくご)は、中国に帰国し、大学で研究者として活動する予定にしています。そして、日本への理解を通して、日中関係に新た(あらた)な一歩を築い(きずい)ていきたいと思います。私には一つの抱負(ほうふ)があります。もし将来、研究活動の結果、何(なん)らか賞を受章(じゅしょう)するようなことがあれば、その中から半分以上をロータリクラブに寄付(きふ)し、もっと多くの若者を支援して行きたいと思います。また、今後とも、感謝の気持ちの恩返し(おんがえし)として、奉仕(ほうし)活動(かつどう)にも積極的(せっきょくてき)に参加し、自ら(みずから)の体験を発信していきたいと思います。引き続き、ご指導ご鞭撻(べんたつ)のほど、よろしくお願いいたします。

ご清聴ありがとうございました。



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