国際ロータリー第2580地区 東京武蔵野中央ロータリークラブ 今週の卓話

「歴史ロマン 信玄=家康の父」(2019/3/28)

歴史ロマン 信玄=家康の父」(2019/3/28)
髙野清香会員

本日のテーマは「家康は親子である」です。

武田信玄:享年51歳(1573年没)

徳川家康:享年73歳(1616年没)

<参考>織田信長:享年48歳(1582年没)

      羽柴秀吉:享年61歳(1598年没)

通説では15721222日の三方ヶ原の戦いで家康が信玄に敗退したので2人は天下取りのライバルと言われていました。

しかしながら、信玄21歳の時の側室の子が家康とも言われているため、その根拠をお話しいたします。

【根拠】

    明治35年刊「史疑」 徳川家康の事績として、家康は松平家とは関係なく源氏の流れをくむ僧侶の子供(信玄―臨済宗)と書かれていた。家康の母「於大の方」には空白の4年間(15441547年)あり、この時、信玄は側室を設けていた。

この「史疑」は500冊で明治政府が絶版としたが、法政大学多摩図書館に1冊だけ残されていた。

    1616417日、家康は久能山に埋葬されたが、そこは久能山東照宮と呼ばれている。久能城(山本勘助の井戸や石垣が残っている)は信玄が建てたもの、またここは駿府城の本丸、家康本人が死後はこの場所に埋葬してほしいと遺言していたことから親子ではないか。

遺骨は久能山にあるが、日光東照宮には神として祀られている。

    家康は5男を武田信吉(15831018日生、信玄の血族が側室)と名づけ、武田家再興をしている。なぜ再興したのか。

    信玄は甲斐善光寺(100%浄土宗)を1558年建立、そこに峯の薬師像(子授け祈願の念じ仏)があり、本堂には信玄と家康の位牌が同じ場所に安置されており、その上、本堂の屋根には両家の家紋もある。

    久能山と富士山の先に日光はある。またその線上の世良田東照宮(群馬県太田市、ここは徳川氏発祥の地)の本殿には、葵の紋を武田の花菱を支えるような形であしらわれている。

    信玄の100回忌を恵林寺で行われたが全国から529

もの人が参列し、そこには柳沢吉保も参列していたと言われている。後に吉保は133回忌も行ったとのこと。

    甲斐を天領・幕府の直轄地とした。

    土佐で勝頼(1546年生)は生きていた(土佐の会、諏訪の会)

    日光火の番である八王子千人同心(甲斐の野武士を集めた大久保長安の功績)

 

上述のようなことから、2人は親子ではないかとの話があります。大変歴史ロマンを感じる話ではないでしょうか。

コメント

カレンダー

09 2019/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 9 10 11 12
13 14 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31