国際ロータリー第2580地区 東京武蔵野中央ロータリークラブ 今週の卓話

「国酒の歴史について」(2015/4/2)

「国酒の歴史について」(2015/4/2)
莊 茂登彦さん(東京練馬西RC)
(紹介 柳原克哉会員



 酒造りの歴史は古く奈良時代になると、造酒司(さけのつかさ)という役所が作られ朝廷のための醸造体制が整えられる。平安時代になると米、麹、水で酒を仕込む方法、さらに燗でも飲まれていたようです。鎌倉、室町になると寺院、神社が酒を造るようになり京都あたりで造り酒屋が出始めます。江戸時代になると「寒造り」や保存のきく火入れ、香味を整える柱焼酎方等の現在に連なる酒造りの原型が見られます。明治時代になると国立の醸造試験所が開設され酒は醸造、流通、販売が許認可制になり同時に担税物資としての役割を負うことになります。酒税は戦費調達の為であり酒造りはやがて戦争に翻弄されて行きます。
 そんな中でも精米機の開発、微生物や湿度管理が容易なホーロータンクの登場、家つき酵母の採取、分離、純粋培養と発展して行きます。
 一方酒宴は宗教的な儀式を祖としているようです。直会(なおらい)神社で祭儀のあと供物(おごりもの)を下して参列者が神と同じ酒を飲む、御神酒(おみき)をいただくことにより神から霊力を授けられ神と一体となり神の啓示を聞く。
 結婚式の「夫婦(めおと)盃」三三九度の盃、武家では椀に大盛のご飯と酒肴を出す方法で盛大な宴を「大椀飲振舞」の語源といわれています。
 上方の酒所「漢王郷」から樽に詰められた酒は20日ぐらいかって江戸へつくと吉野杉樽香が熟成し江戸の濃厚な料理に良くあった。江戸では下らないとダメで「下らない話」となったとか。又上方の人は新酒を口にすることが出来た、だから料理も薄口、淡泊になった一因とか。
 昔は米屋、酒屋は商店街の雄でしたがみごとに消えました。両者は言葉も古いですが「統制経済の申し子」でした。米屋は食料管理法で米穀通帳でした。酒屋も酒税法で統制価格制度、その後も基準販売価格でした。自由競争のない世界です。チャールズ・ダーウィンは「この世の中で生き残れる生物は、その時代が要請したものか、その時々の環境の変化に対応したもののみである」といったそうですが、時代の要請にも環境の変化にも応えられませんでした、結果姿を消しました。
 酒縁についてお話しします。私の妻は京都の呉服問屋の娘なのですが縁あって結婚する時、両親は関東は遠いからと思っていた様です。義母の兄が一人だけ東京の西新井で紙卸しをしていたそこの長男さんのお嫁さんの実家が西日暮里の酒屋さんだった縁で認めて下さいました。所がその日暮里の前田酒店さんが新潟亀田郷の地酒・越乃寒梅さんの第一号の東京における蔵元直送の特約販店だった関係で直送販売店になることができました。
 まだまだ酒の話は沢山あるのですがこの辺で失礼します。


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