国際ロータリー第2580地区 東京武蔵野中央ロータリークラブ 今週の卓話

「会計帳簿からみる江戸時代の商家の生活」(2015/2/12)

「会計帳簿からみる江戸時代の商家の生活」(2015/2/12)
嘉悦大学教授 飯野幸江さん
(紹介 髙橋 栄治会員)




 会計帳簿というと、一般的には金(かね)勘定を記録したものというイメージがあるかと思われる。とりわけ商家の会計帳簿であれば、その商家がどれだけ儲けたのか損をしたのかが記録されることになる。しかしながら、会計帳簿からわかるのは、経営状態だけではない。会計帳簿をみると、商売の仕方だけではなく、その当時の生活の様子までがみえてくるのである。
 三井家は江戸時代を代表する商家の一つであり、延宝元(1673)年に三井八郎右衛門高利が京都と江戸に呉服店を開業したことから始まる。三井家では、数多くの営業店と約10軒からなる三井各家を大元方(おもとかた)と呼ばれる組織で統轄していた。そこでは『大元方勘定目録(おおもとかたかんじょうもくろく)』と呼ばれる決算帳簿が作成され、それをみていくと、当時の三井家がどのように事業を行っていたのかだけではなく、三井家の人々がどのように暮らしていたのかもわかるのである。
 事業面についてみていくと、「紀州様かし」という項目がある。これは紀州徳川家に対する貸付金である。大元方は三井家の事業のために傘下の営業店へ投融資を行っていたが、紀州徳川家への貸付額は営業店の投融資額の約半分であったことから、その貸付額が巨額のものであることがわかる。紀州徳川家への貸付金は、返済されることのない不良債権であり、増えることはあっても減ることはなかった。なぜならば三井家の戸籍は伊勢松坂にあり、領主である紀州徳川家から営業上の多大な便宜を得ていたため、要請があれば貸付に応じていたからである。したがって、三井家にとって紀州徳川家への貸付金は、各営業店の投融資と同様に三井家に利益をもたらすものとみなされていたのである。このことから三井家の事業における紀州徳川家との関係の重要性をみることができる。
 続いて生活面をみていくと、「旦那集御賄料」という項目から、三井家の人々の生活レベルがわかる。これは三井各家に支給される生活費であり、家の格によって異なるものの、毎期決まった額が支給される。町方の奉公人の1年分の給料が2~3両という時代に、三井各家の半年分の支給額は100~1,000両以上であり、かなり裕福な生活が送れることがわかる。しかしながら、時代が経るにつれ、帳簿には「○○様かし」という項目が頻繁に見受けられるようになる。これは三井家の人々に対する貸付金であり、贅沢に慣れた三井家の人々が決められた生活費では足りなくなったために、貸付を要請しているのである。三井家の人々に対する貸付金も返済されることのない不良債権であり、その額は営業店への投融資額の約4分の1、紀州徳川家への貸付額の約半分であった。これを丹念にみていくと、三井家の人々の生活がどんどん華美になっていく様子がわかる。
 その他にも、知人の一周忌への「香奠」が金3歩、お菓子代が「羊羹三棹」で6匁7歩5厘という記載があるように、三井家が日頃どのような付き合いをしていたのかも帳簿から知ることができる。
 このように会計帳簿には、経営状況だけではなく、当時の人々の暮らしぶりや考え方などが反映されているのである。それは程度の差はあっても現在にも言えることであり、会計帳簿には人々の生活を覗くという楽しみ方もあるのである。


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