国際ロータリー第2580地区 東京武蔵野中央ロータリークラブ 今週の卓話

「レーシングドライバーと職業奉仕」(2015/10/22)

「レーシングドライバーと職業奉仕」(2015/10/22)
大西太一郎さん/東京紀尾井町RC (紹介 田中永二会員)



 東京紀尾井町ロータリークラブ所属の大西太一郎です。地区におきましては青少年奉仕委員会の副委員長として青少年交換担当を務めており、今年で2年目となりますが、昨年、同委員会には上山ガバナーエレクトも所属されていたこともあり、そのご縁でお声がけ頂いた次第であります。さらには、私が地区青少年交換委員長だった時には、次年度地区幹事の田中さんとも委員会でご一緒しましたことを考えますと、何か特別なご縁を感じます。本日は、私が以前(1990年から2001年)プロレーシングドライバーとして国内外にて走っていたことを中心に話を進めて行きたいと思います。
 私は1966年生まれ、丙午の年だったこともあり、皆さんご存知のようにこの年生まれは少なく、競争とは無縁の人生をレーシングドライバーになるまでは過ごして参りました。さらには、私が一人っ子だったこともそれに輪をかけて、争い事が嫌いという平和主義者でもありました。小さい頃の私を知る人たちからは、私がレーシングドライバーになったなんて信じられないと、よく言われるほどだったのです。そんな私がレースに興味を持ち始めたのは、小さな頃からクルマが好きなこともあり、高校生時代は、授業をさぼっては教習所へ通い、高校卒業前には運転免許を取得しておりました。大学へ進学してからは、毎晩のように奥多摩方面の峠を走り、誰と争う訳でもなく純粋に走りを楽しむ毎日を過ごしておりました。当然、スピードを出すことが好きで峠を走りまわっていたのですから、レースに興味を持つようになったのは時間の問題でした。大学卒業後一度はサラリーマンとして、たった1年でしたが広告代理店に勤めてクルマとは離れた毎日を過ごしておりましたが、やはりレースをしたいという気持ちを抑えきることが出来ず、たった1年で退社をしてしまうことになりました。しかしこの時点で私は23歳。何の実績も無い私がレーシングドライバーとしてスタートするには遅すぎる歳でした。そしてここから様々な幸運に恵まれレーシングドライバー人生が始まります。
 脱サラして最初の幸運は、当時F1ドライバーとして活躍していた中嶋悟さんの事務所に拾って頂いたこと。これはある知人の紹介で実現したのですが、実績の無い私が入れたのは幸運としか言いようがありません。2年間日本の入門クラスで走った後、イギリスへレース留学。これは経験の少ない私が出遅れた分を挽回する為で、1年間で20レースに出場。練習量も含めると、日本で活動する時の10倍以上の走り込みが出来ました。帰国後は皆さんも名前は聞いたことがあるF3選手権。この時に中嶋さんの所を離れて他のチームで走ることになります。このF3クラスは3年間走りましたが、ここでもトヨタ系のTOM’Sという超名門チームを始め、皆が羨むような体制で走ることが出来たのです。チームが良いのに気持ちばかりが空回りしてしまい満足の行く結果が出せない3年間でした。この後に続かないかもしれないという失意のどん底の中、新しいシーズンも始まり、まだ所属チームが決まっていない私は焦るばかりで、シーズン前の合同練習をパドック側から見学をしていたところ、なんと名門、横浜ゴム(ADVAN)のワークスチームから念願の最高峰レースFormula Nippon(現 Super formula)のオファーがあったのです。この時、29歳の時。レースを始めて僅か6年、信じられない早さでの夢の実現でした。
 Formula Nipponとはこの上にはF1しかなく、このレースに参加出来るのはたった26名。当時は星野一義さん、シューマッハを始め、憧れのドライバー達が名を連ねており、開幕戦の鈴鹿のスターティンググリッドでは思わず込み上げてきたのを今でも忘れません。また当時はフジテレビで全戦放送もしていたので、多くのファンに囲まれ、最高のシーズン遅れたことを今でも忘れません。翌1997年は、同シリーズがルール改定で、ブリヂストンタイヤしか使えなくなった為、私の所属するチームは撤退することを余儀なくされ、1年間でのこのクラスへの参戦は終わりました。この年は、24時間耐久レースのみとなりましたが、運よくクラス優勝を果たすことができました。そこでは様々なドラマがあり、中でも脱水症状を起こして、ドライバー交代で休んでいる間に点滴を受けながら戦っていたことは今でも忘れません。1998年は、小さなチームでしたが2戦だけ再びFormula Nipponに乗ることが出来ました。この2戦で事実上フォーミュラマシンから引退となります。その後は少しブランクがあり、2000年にアジア各国を転戦する、アジアンツーリングカー選手権にプジョーのワークスチークからの参戦。開幕のフィリピンでは幸運にも優勝することができました。そして各国を転戦する中で始めたボランティア(安全運転講習会)が、後の私の人生を大きく変えることになります。
 さて、話は戻りますが、皆さんが最も興味のある、レーシングカーの凄さ、ドライバーという仕事についてFormula Nipponを例に説明致します。当時、シャーシはイギリス製の2つのメーカー(LOLA, Reynard)があり、エンジンはホンダ系のMUGEN、フォードのコスワース、タイヤはブリヂストン、ADVANがありました。気になるレーシングカーの価格は、シャーシが約3,000万円、エンジンはメーカーからのレンタルしかなく年間で3,500万円。それに1チーム20名近いスタッフを抱えるチーム年間予算は約1億円。次にどれだけ凄いマシンかと言いますと、車重600kgに500馬力を超えるエンジン。これだけでイメージ出来る方もいると思いますが、なかなか分かりづらいと思います。正確なデータはありませんが、時速100キロから200キロに加速するのに2秒ちょっとしかかからないのです(最高速は320キロ)。こんな加速ですから初めて乗った時は、思わずアクセルを戻してしまいました。しかし人間の慣れは凄いもので、1か月後にはエンジンパワーが足りないからもっとパワーを上げてくれと、メカニックにお願いしていたほどでした。そして凄いのは加速だけでなく、コーナリング速度です。マシンの前後には大きなウィング(羽)が付いていて、これがマシンを地面に押し付ける役割を果たすわけです。ここには時速300キロで2,000kg近い力がかかるのですから、コーナリング速度も半端じゃなく速くなるのです。3Gとも言われるGによって、内臓が遠心力で偏るような感じも味わえます。よく聞かれる質問に「雨のレースは怖いですか?」がありますが、正直言って死ぬほど怖いです。滑ってコースアウトする恐怖心もありますが、何より怖いのが水しぶきで前が全く見えないのです。前車が巻き上げるウォータースクリーンの中、その水しぶきに付いて行き、前でアクセルを戻す音が聞こえたら自分も戻すと言った感じです。時速300キロの雨の走行ともなると、ハイドロプレーニング現象が起きて直線でスピンするマシンもあります。もし、前が見えない状態で時速300キロで走行中にコース上にスピンして止まっているマシンがあったらどうなるでしょうか。まさに皆さんが今イメージした恐怖が雨のレースでは続くのです。こればかりは運の話になりますが、通常の走行においてレーシングドライバーが気の狂ったような速度で走れるのも、自分の技術以上にマシンを信頼しているからです。レースは多くの自動車メーカーが、技術の進化も求めて実験の場として参加しています。レーシングドライバーが命がけで、メーカーが莫大な資金を投入して行っているレースは、自動車の技術の進化に大きく貢献している、今回の卓話のテーマにさせていただいた「レーシングドライバーと職業奉仕」に繋がるのです。ここで言う命がけというのは、まさに失敗したら即命を失うという意味で、思い起こしてみればかなり無謀なことをしていたなと思います。1回のレース中に生死をかけた判断に迫られることが5回あると言われています。年間に10レースあるとすると、1年間に50回も命をかけているということになります。例えば、あるコーナーに200キロのスピードで飛び込んで行こうとした時、その可能性がどれくらいあれば、チャレンジするかというと、1%でも可能性があればチャレンジするのがレーシングドライバーなのです。この大きなチャレンジがあるからこそ、技術の進歩へ大きく貢献できるのです。
 さて先ほど少し触れましたアジアでの交通安全講習会の話をさせていただきます。近年、クルマ社会の発達が急成長しているアジア諸国において、交通事故はとても大きな社会問題なのです。当時のWHOデータでは、死亡原因の1位がエイズ、そして2位に交通事故が入っていたほどです。使い方を間違えれば人を殺す凶器と化すクルマを、各自動車メーカーはアジアに向けて輸出するのですが、その使い方に関するフォローがされていなかったのです。レースに参戦して、お客さんに感動を与えるのは勿論レーシングドライバーの仕事ですが、他にこの職業だからこそ出来ることとして、これらの問題に対する取り組みです。この時、アジア各国を舞台として戦っていたので、各サーキットにおいてレース終了後にお客さんを対象とした交通安全講習会を行いました。先ほどまで命がけで戦っていたレーシングドライバーから直接教わることが出来るということで、参加者の目は真剣です。何か矛盾している感じもしますが、クルマに関することでは影響力が高く、この後も自分の職業色を全面に出した安全運転講習会を、日本でも行うきっかけとなりました。そしてこれまで10年以上、大手企業の安全運転講習会を行っており、自分の経験をもとに受講生を指導したものは、他のスクールと比較してもより深く、説得力のある内容が好評です。そして最近は、正しくクルマを理解してもらい、より楽しいカーライフを過ごすことを目的としたドライビングスクールへも力を入れております。これは、私は以前から温めてきたライフワークに繋がるものです。ご興味のある方は、是非お声がけ下さい。
(詳しくはホームページをご覧下さい。http://www.prm-web.jp

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