国際ロータリー第2580地区 東京武蔵野中央ロータリークラブ 今週の卓話

「カメラのお話」(2019/11/14)

「カメラのお話」(2019/11/14)
株式会社 ニコン 相談役 木村眞琴さん
(紹介 石澤 敦会員)

始めにデジタルカメラによる作例写真を数枚紹介し、カメラメーカーと呼ばれるニコンの創立時と現在の商品群を紹介する。

(1)カメラの歴史

2000年以上前のギリシャ、中国で知られていたカメラオブスクラという現象が始まりであり、暗い部屋の片方の壁にピンホールを開けると反対側の壁に室外の景色が映ることが知られていた。やがて中世頃になるとこの暗い部屋が小さな箱型になり画家たちが景色を写生するのに使うようになる。ダビンチやフェルメールも使ったと言われている。やがてピンホールがレンズに置き換えられて像が明るく鮮明になる。実用的なカメラとして1839年フランスでダゲレオタイプカメラが発売されたが、露光時間が長く動くものは写らなかった。その後、感光材料の進化が進み1880年にはイーストマンコダック社が創立され、1888年にはThe Kodakが発売され次第に身近なものとなっていく。1925年には現代のカメラの基本となるライカ1型が発売されるが、この時の画面サイズはそれ以来不変で今のデジタルカメラでもフルサイズという呼び方で使われている。19世紀半ばには日本にカメラ、写真が伝来し江戸末期から明治の初期の写真が多く残っている。日本でカメラが発売されたのは小西六のチェリー手提暗函が最初で初の国産のカメラは1929年、日独写真機商店のニフカレッテ。その後も1935年には精機光学研究所のハンザキヤノン、1938年には高千穂製作所からオリンパスが発売される。この時代を日本カメラの草創期と呼んでもいいでしょう。

そして戦後にカメラ産業の離陸が始まる。1948年にはニコンが1型を発売し、1952年に旭光学から国産初の一眼レフ、アサヒフレックスが発売される。この時期、世界的にはライカの評判が高く、日本メーカーはレンジファインダーカメラではライカの牙城を崩せず一眼レフに力を注ぐようになる。一眼レフの強みは何といっても豊富な交換レンズを駆使できることにあり、ライカはレンジファインダーカメラで最高だった故に一眼レフ開発に遅を取ることになった1959年のニコンFの発売以降、日本のカメラ産業が世界市場の大半を占め、ドイツ勢は衰退していく。そして1990年代の後半からデジタルカメラの時代となるが、デジタルカメラの発明は1975年コダックの技術者によるもので1981年にはソニーがマビカという名前でフロッピーに記録するカメラの開発を発表した。その後十数社集まり

カメラの記録規格を決め、各社発売するが、お客様の反応は悪く商品としては全くの失敗だった。

現在のデジタル一眼の基本を作ったのは米国のコダック社で1991年にはKodak DCSカメラを発売している。そしてコンパクトデジカメの元祖はCasio1995年に発売したQV10で液晶画面を背面に持ち、撮影してすぐに見えるということでデジタルカメラ市場全体の先駆けとなった。一方、デジタル一眼で市場を切り開いたのは1999年のニコンD1でこれでフィルムからデジタルへの流れが決まったと言っても良い。D1が出てからほぼ5年でフィルムカメラは事実上消滅した。

(2)カメラの基本と画質

通常の撮影はカメラ任せで十分だが、いわゆる何かを表現する写真を撮るにはカメラの基本である絞りとシャッタータイムと撮影感度の効果を知ることが重要である。適正な露出以外にも絞りはボケをコントロールし、シャッタータイムは動くものをどの様に表現するか、そして感度はノイズと関係が深い。また、画質はレンズの性能とセンサーの画素数、画素の大きさで決まるもので、撮りたいものによってレンズ、カメラタイプ(撮像センサーサイズ、一画素の大きさ)を選択する。デジタルカメラにはいろいろなタイプがあるが、レンズの大きさはセンサーの大きさで決まるので撮影用途、使い勝手(自分の体力も含めて)で決めることが必要である。スマホで写真を撮られる方は是非とも一味違う写真をデジタルカメラでお撮りになっては如何でしょうか。

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