国際ロータリー第2580地区 東京武蔵野中央ロータリークラブ 今週の卓話

「クラブフォーラム/地区大会について」(2015/6/4)

「クラブフォーラム/地区大会について」(2015/6/4)
地区大会実行準備委員会


◇ホテルニューオータニについて
 大谷米太郎は、富山県小矢部市(旧・西砺波郡正得村)水落集落出身の実業家。貧農の家庭に長男として生まれ、31歳になるまで一家を養うために農家の小作として使われる生活を送った。31歳の時、僅かな金(20銭)を親から借りて裸一貫で上京したが、保証人もいない単身田舎から出てきた男にまともな仕事は見つからず、日雇人夫となっていた。
 やがて力自慢でならしていた米太郎に稲川部屋から声がかかり、大相撲力士となる。砺波山(後に改名して鷲尾獄)の四股名で褌担ぎから幕下筆頭にまでなるものの、手の指に障害を負っていたことが原因で幕内に上る事を断念。酒屋に転身するが、現金取引を優先したことで利益を上げ国技館一手扱いの酒屋となった。この頃米太郎は結婚し、更に儲かる仕事を求めて鉄鋼圧延用のロールを作る東京ロール製作所を起業した。(その後「大谷重工業」となる)
 1964年東京オリンピックを2年後に控えた1962年(昭和37年)、オリンピック委員会と政府は外国人来訪を約3万人と予想して受入れ施設の確保を計画し財界に打診すると、大谷重工業社長大谷米太郎が受諾してホテル建設に着手する。
 東京都千代田区紀尾井町の近江彦根藩井伊家屋敷(➡旧伏見宮邸)跡地に、大成建設の施工で1963年(昭和38年)4月1日に着工した。ただ着工時に設計が全て終わっていたわけではなく、設計図を書きながら建設していくという突貫工事が行われた。この結果、1964年(昭和39年)8月31日に竣工を迎えた。そして翌9月1日に現在のザ・メインを開業する。
 地上17階延べ床面積84,411m²、客室数1085室のホテルを1年半で建設するためにユニットバスや高性能カーテンウォールなど当時最新の合理化工法や、当時最高層の17階建てビルディングであるため後年に超高層ビルの基本となる柔構造理論設計を採用した。シンボルともいえる最上階の回転ラウンジの回転機構は、戦艦大和主砲塔の回転技術が応用されることで作られ、直径45mで東洋一と謳われ、長らくブルースカイラウンジの名で親しまれて東京タワー等と並ぶ名所となる。


◇役割分担
 ① 総務
 ② 登録促進・受付
 ③ 記録・記念誌
 ④ 会計
 ⑤ 会場案内・整理・救護
 ⑥ 記念講演
 ⑦「職業奉仕」パネルディスカッション
 ⑧ RI会長代理歓迎晩餐会・懇親会
 ⑨ 来賓名簿作成・招待・来賓接待
 ⑩ 友愛の広場(展示・アトラクション・茶湯等)
 ⑪ レディースプログラム「ニューオータニのおもてなし」
 ⑫ 司会(各会議、催し)
 ⑬ 青少年(ロータリーファミリーパーティー)・新入会員(昼食
   会)プログラム、ソングリーダー養成講座

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